関節リウマチを患っていた印象派巨匠・ルノワール。病に屈しなかった絵画への情熱とは?

海外に基づくコラム

おばあちゃんが関節リウマチになっていて、骨が変形して大変そうでした。

母が関節リウマチで、よく指先が痛いと言っていました。

患者さんの問診をしていると、こんな声をちらほらと聞くことがあります。

ご家族が関節リウマチになっていると、身近に感じることがあるのではないでしょうか?

またはなんとなく、

関節リウマチって昔からある病気だよなぁ〜。

と感じている方も少なくないと思います。

実はもっともっと昔から、関節リウマチは確認されています。

遠い昔、紀元前4500年頃の古代インディアンの人骨に、すでに関節リウマチの特徴的な関節の変化があったようです。 また、欧米では、17世紀の絵画に関節リウマチらしいものが描かれています。日本では、奈良時代の歌人、山上憶良が自らの関節リウマチを詠んだとされる詩が残っています。

東京リウマチクリニックHPより)

他にも、音楽家や画家、スポーツマンなど関節リウマチに苦しみ、それでも懸命に生きた著名人は数多くいらっしゃいます。

今回は、その中の一人、世界に名を馳せた絵画の巨匠・ルノワールをご紹介したいと思います。

1875年頃のルノワール

1841年フランス・パリで生まれたピエール=オーギュスト・ルノワール。 のちに『印象派の巨匠』と呼ばれる彼の作品は、柔らかな色彩と表情豊かな絵画が特徴です。

1880年『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』

20代から本格的に画家を志望したルノワールですが、その道のりは険しかったそうです。

苦労の末、ようやくルノワールが認められたのは、1864年、30代に差し掛かる時でした

その後、現代生活をテーマにした作品を次々と出展し、ルノワールの作品は、パリだけではなく、ヨーロッパ全土に知られるようになりました。

1877年『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』

そんな印象派の巨匠が、関節リウマチを発症したのは1897年、48歳のとき

当時は治療方法も確立されておらず、一時期は歩けなくなるほど病状が悪化したこともあったそうです。

変形したルノワールの手

それでもルノワールは作品を書き続けることを諦めず、車椅子に乗れるようになる程、奇跡的な回復を遂げました。

「歩くよりも絵が描きたい。」

絵を描き続けることにこだわり、包帯などで鉛筆を固定させ、最期の最後まで制作活動に取り組んでいたそうです。

1892年『ピアノによる娘たち』

ルノワールの絵画への深い情熱を感じますね。

関節リウマチに負けず戦ったルノワールの作品は、見ているだけで勇気をもらえます!

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